製作年 | 1993年(平成5年) | |||||
作品名 | 卒業旅行 ―ニホンからきました― |
|||||
スタッフ | 監督/金子修介 原作・脚本/一色伸幸 製作/山科誠・高井英幸 プロデュース/島谷能成・ 渡辺竜夫 プロデューサー/小林嘉夫・山田耕大 音楽/大谷幸 監督補/栃原広昭 撮影/高瀬比呂志 美術/山口修 照明/高柳清一 録音/林大輔 編集/冨田功 衣装デザイナー/小川久美子 助監督/冨樫森 製作担当/石川達也 音楽プロデューサー/岩瀬政雄 協力プロデューサー/浅田恵介 東宝・バンダイビジュアル提携作品 企画制作/メリエス |
|||||
キャスト | 三木康男/織田裕二 桃山百夫/鹿賀丈史 相良令子/鶴田真由 三木三郎/小坂一也 三木キネ子/水野久美 |
|||||
公開日 | 9月4日〜 | |||||
配給 | 東宝 | |||||
備考 | オールタイ(アユタヤ)ロケ。 主題歌/ヤングマン・西城秀樹 |
※パンフレットより、おいしいとこだけ(^^)抜粋 | |
キャスト/まつかわゆま: | ○”二面性”――鹿賀丈史の魅力 ○鹿賀丈史は天秤座の男、である。 ○天秤座の男には”二面性”がある、のだそうで、鹿賀丈史自身はあるインタビューで天秤座の自分をこんな具合に分析してみせている。 「静的な部分と、動的な部分がある」 「ものをひとつ考えるとき、必ず違うもうひとつの考え方でも考えている」 「人間のだらしない部分も好き。でも僕は正確が根本的に几帳面」 ○なるほど、そしてこの二面性こそが、”役者・鹿賀丈史”の大きな魅力であり、彼の演ずる役が魅力的に生きてくる理由なのである。 ○演ずる、ということは、その”役”すなわちひとりの人物について、シナリオに書かれた平面から彼のひととなりを立体化させていく作業に他ならない。人間はいろんな面を持つ生き物であり、だからこそ人間は面白い。人間の多面性を描き込んだドラマは面白い。そして自分自身の二面性、多面性を自覚し、また他人を観察して人間の様々な面を愛しくストックしている鹿賀丈史は、”役”を多面的にとらえ、分析し、自分自身の多面性とすりあわせつつ演じていける人なのではあるまいか。 ○例えば『麻雀放浪記』の”ドサ健”。自分の女を女郎屋に売り、賭金を作って勝負に出るようなストイックなギャンブラーである反面、惚れぬいた女には甘え、優しさも見せる。 「男のやさしさ・厳しさ・バカさ加減をたっぷり持った男」 ○と鹿賀丈史は言う。長い舞台のためには好きな酒も減らし体調を整えるストイックさ、「役者はお客の前で語ればいい。終わってから討論する必要はない」と言い切る厳しさ、子や妻を語る言葉に表れる優しさ、そして”役者”などという世間一般出世主義男社会からすればワリのあわない仕事を愛し続ける”バカさ”加減。ほら、彼自身の多面性の中からドサ健との共通項が浮かびあがってくる・・・・・。 ○この方法、というかこの傾向はデビュー作『ジーザス・クライスト・スーパースター』でつかんだものではないかと私は思うのだがどうだろう。まあ、と言うのも私にとっては鹿賀丈史はジーザスの鹿賀丈史だし、ジーザスは鹿賀丈史、だからなのだが。 ○ヒット・メーカーのアンドリュー・ロイド・ウェーバーの出世作である『ジーザス・・・』は、ジーザスという、神に選ばれてしまった青年の苦悩の物語である。いつの間にかのっぴきならぬ立場に置かれてしまい、行き先には死が見え、疲れ果てたジーザスが歌う『ゲッセマネの園』。”なぜ””私が”ここまで追い込まれ死ななくてはならぬのかと”神”に問うジーザス。”神”は無言。そしてジーザスは半ばやけくそのように覚悟を決める。この歌で鹿賀丈史はわずか3分ほどのソロの間に、青年ジーザスの面からジーザス=クライスト(救世主)の面(をつけようと決めた・・・青年ジーザス)の変化を鮮やかに”演じ”分けた。鹿賀丈史が四季を退団してから『ジーザス・・・』を見る機会があったが、この変化がきっちり歌い分けられておらず私はがっかりした覚えがある。”人間”ジーザス、つまり多面性を持つ人間としての青年ジーザスを演じることで鹿賀丈史は、自分なりの役へのアプローチ法を獲得したのではないだろうか。つまり、多面的に人間=役を分析することを。きっとそれが性にあっていたのだ。天秤座だから。では、鹿賀丈史の魅力が”二面性”にあるとすれば、今回の桃山という男にはどんな”面”を見せているのだろう。いかがわしくて、ずうずうしくて、チャランポランで、でも憎めない男。一旗あげようという夢破れ、けれどカタギになる気もさらさらなく、何かイイコトないかとその日暮しの・・・・寅さんなのね。日本男性憧れの、鹿賀丈史言うところの”人間のだらしない部分”を素直にペロリと出している愛すべき男。けれど桃山はその実、日本を自嘲的にみているシニカルな男でもある。(このあたりで桃山こそ金子修介監督と脚本の一色伸幸の辛口ぶりとエンターティナーなのだとわかろうというもの)。そのすっとぼけていながら辛辣なところ、彼の当たり役のひとつである『トーチソング・トリロジー』のアーノルドに通ずると私は思うのだが、鹿賀丈史ファンの皆さんはどう思われるだろうか。 |
プロダクションノート/杏堂礼: | ○怪しさに磨きをかける努力の男 ○現地在住8年のブローカー桃山役の鹿賀丈史は、役作りのためロケ隊より一足先に現地入り。ひたすらプールサイドで焼きまくって撮影に臨んだ。撮影の合間も惜しんでさらに日焼けを重ねたため、南方顔がひときわ黒光りし、現地人と間違われるばかり。しかも目の周りにはサングラス跡がくっきり、妙なヘアースタイルで腰にトイレットペーパー(これが便利なアイデア・グッズと大評判)を下げた、何とも怪しい中年男が誕生した。 ○また、桃山の歌手時代の唯一の持ち歌「おやじの喉仏」は、脚本の一色伸幸が作詞、音楽の大谷幸が作曲したオリジナル演歌。本編でもまわりの白い目もものともせず歌いきっている鹿賀は、この歌がいたく気に入り、しみじみと口ずさむことしきり。そりゃあ、ますます怪しいかも!? |